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小津安二郎の旅
今年の目標は20本の映画を(映画館で)見ること。DVDも20本は見たい。と映画2011で決めたが、DVD20本は小津安二郎作品とその関連映画を20本見ることに決めた。きっかけは恥ずかしいけど「小津安二郎の謎」この漫画を10年ぶりに単行本でみて。
鑑賞予定順序はこの通り
トーマス・H・インス「シヴィリゼーション」
13歳のときに映画監督になると決意したきっかけ
「懺悔の刃」
小津の第1作、実は散逸していて観ることができない映画の一つであるということを知った。他に散逸している作品は『若人の夢』、『女房紛失』、『カボチャ』、『会社員生活』、『エロ神の怨霊』があるということだ。今後、発見される可能性はあるのだろうか、ないんだろうか。
「生まれてはみたけれど」
1932年キネマ旬報第一位獲得、どうやらこの辺からは順調に作品は残っているようである。とりあえずVHSで注文をした(2011,2/26)
「出来ごころ」
1933年2年連続キネマ旬報第一位
この作品を観るのなら、VHSなんかにamazonの在庫がちょこちょこあるようだ。この時代はサイレントなんで、活弁版とか、吹き替え版とかそういうものを見つけた。どっちで観るのがいいかはわからない。とりあえずVHSで注文をした(2011年2/26)。
「浮草物語」
1934年3年連続キネマ旬報第一位
この作品を観るのなら、VHSなんかにamazonの在庫がちょこちょこあるようだ。この時代はサイレントなんで、活弁版とか、吹き替え版とかそういうものを見つけた。どっちで観るのがいいかはわからない。とりあえずVHSで注文をした(2011,2/26)。<BR>
両作品はこのDVD−BOX第三集に収録されている。
(20110226)
----ここまで成瀬巳喜男作品----
(20110227)
「吉田喜重が語る小津安二郎の世界」
1993年NHK ETV特集で全4回で放映されたもの、現在はDVDでの入手は困難なようだが、TSUTAYA DISCASで借りることが可能である。amazonでは入手不能だったが、HMVオンラインショッピングでは注文ができた。納期は61日程度とあるので本当に購入できるのかどうかは不明(・・・やはり売り切れとメール1通でキャンセルとなった)
(2011/4/10)。
第1回 「サイレントからトーキーへ/映画との出会い 反復とずれ」「映画はドラマだ。アクシデントではない」
と吉田喜重に1963年の新年会で語った小津、小津が初期作品でこだわった「アメリカ映画」の模倣、そして、「反復」とそのズレ。舞台は東京にこだわる作品づくり。音声を得ることでようやくドラマが可能になりながら、役者の台詞により容易にドラマを展開することを否定している。
小津はこの初期サイレント映画の段階で「モンタージュ(編集)」を用いて、何ら脈絡のないものを挿入することでドラマの世界を広げている。
サイレントから始まり(俳優の身振りの反復のズレに魅了され)、映画に創造などないと思っている映画監督。(2011/4/3)
ちなみに、この吉田監督と小津監督の逸話を隣で聞いていた人が篠田正浩監督。「河原者ノススメ」にそのことが少し書いてある。
第2回 「戦中戦後の軌跡/映画が言葉を発するとき」
これを見る前日に、NHKBSプレミアム「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」の序章のような2時間ものの番組を見た。山田洋次が嫌いだった小津安二郎、そして、山田洋次がいつのまにかあこがれている小津安二郎。そして、黒澤明の遺作には多分に小津の要素が入っていること。
小津的作品として形をなすに重要な意味を持ったであろう4作品から小津と戦争の関係が明確になった。
日本の名画100本のうちの50本は「家族映画」をテーマとしている。
小津が目指したのは「家族が家族である状態は映画にならない、家族が崩壊するところ、縁が切れるところに映画である理由がある」ということなのであろうか。
小津安二郎は2回出征している。
1回目の出征後「戸田家の兄妹」「父ありき」を発表している。
再度の出征ではシンガポールで映画を作るとなっていながら、結局作らぬまま終戦となっている。どうやら接収したフィルムを見まくっていただけとのことらしい。戦後に「長屋紳士録」「風の中の牝鶏」を発表している。
戦争によって明らかに「小津世界」は確立したのだとは思う。(風の中の牝鶏以降、社会派映画は撮らなくなったという逆説的意味もある)。
(2011/4/10)
第3回 「『晩春』と『東京物語』/限りなく開かれた映像」
小津と原節子、この映画を通して色々なものが見えた気がする。
うらやましい。
晩春・東京物語の原節子の表情の変化になるほど・・・見落としていたものがいくつも見えてきた。
「つか以前・つか以後」というようなことが演劇にはあるようだけど、なんとも、見事な、役者を活かした演技をさせていたのか、今だからそう見えるのか、原作者・監督の思いを役者が受け止めて形になったのか。単に50年の熟成がそう思わせるのか。やはり、山田洋次監督(ですら)嫌いだった「家族」をテーマとした小津作品。なぜ、今いいと思うのか。
「映像が一つの意味しか持ち得ないということを嫌った小津」「限りなく意味が開かれて浮遊する映画」「小津の映画の意味を語ろうとすることは水ですくい上げるような行為だ(すくった瞬間に両手からこぼれおちていることに気がつく)」
(2011/4/10)
第4回 「その短すぎた晩年/無秩序な世界につつまれて」
笠 智衆は若い頃から老人役が適役だった。思えば、小津安二郎は若くしてベテラン監督のような安定した作品を作っている人だと思っていたけど、実は豆腐屋が豆腐を作るようになるまでにいろいろな変遷があることを知った。第4回はなんとも一大叙事詩であるかのような完結である。
よく、小津を語るには「東京物語」が一番適切だという言い方があったりするのが嫌だった私も、この4回の話を見ていくなかで「東京物語」がどのように特別なのか、どのように集大成的であるかということはわかった気がする。
何より驚くべきことは小津は50歳で東京物語を作っているわけで、これはかなりショッキングである。
小津は長いこと「白黒・スタンダード」で映画を作っていたが、晩年では「カラー・スタンダード」を撮るようになっていた。カラーが巧いか・下手かというのは、議論が尽くされていると思うのでそれでいいのかと思う。
「秋日和」では、原節子は母親役となっていた。小津安二郎が初めて見たのは「娘役」をやっていた原節子だったろうに、それが、ついに母親役となったわけである。東京物語は未亡人役だったわけで、そこからも更に変化があったことを多くの人はそれなりな思いで見たのではないのだろうか。今、その原節子の変貌をこのシリーズで見比べることで、私もやっぱり感慨ひとしおというそんな実感だ。
「秋刀魚の味」が遺作となっているが、やっぱりこれは小津映画なわけで、「繰り返し」と「ズレ」を見事なまでに使いこなしている。小津安二郎には晩年も遺作も必要ないのかもしれない。
昔(1988年)、プラド−美術館に行ったときに、ゴヤの絵が何カ所かに分かれて展示されていた。「黒い絵」を描いたゴヤの遺作は何なのか・・・たまたま、ガイドをやっていた日本人ツアーの人の声が聞こえた。遺作がその人の代表となるとは限らない。という説もあるけど、小津の場合、どれが遺作であっても実はそれほど変わりなかったのかもしれないと思った。
(2011/4/24)
このDVDはなかなかの力作。
手に入れる方法がないのが残念でならない。
再発売しないだろうか。